モジリ兄とヘミング

林田一高KAZUTAKA HAYASHIDA

妄想のススメ

 いつものとは違うウガイ薬でうがいをしたせいで、口の中がさわやか過ぎて困る。しょうがないので、水でうがいし直す。

 そもそも俳優になってこれまで一度も、さわやかさを売りにしたことはない。「じゃあ、何が売りなんだろう?」と自問してみるが、いまだハッキリした答えを見つけられないでいる。「しいて言うなら……哀愁?……」と鏡の前の自分に向かって声をかけてみたが、たるみ始めたお腹が気になり、恥ずかしくなって沈黙する。

 そんな僕でも、すぐに動ける準備だけはしている。いつ声がかかってもいいように「準備万端、何でもコイだ!」……嘘。いや、訂正。決まってから動きだすことが多いかな。まあ、そんな時だってあるさ。ていうか、大抵の場合、そういうものじゃないか? 決まる前から動くって、「出会う前に恋はできない」のと同じ理屈だよ。相手のいない恋。もし、そんなことができたら、「アナタ、ヘンタイネ アタマオカシイデス」って言われちゃう。でも、ふと、妄想ならありかなと思う……

 芝居を始めた20代、よくトイレで妄想にふけっていた。「誰にも邪魔されず、自分が何者か分からなくなるまで、兎に角なんでもいいから、この身を深く沈めたい……」きっとみんな、経験あると思う。妄想にふける場所が、トイレかどうかはわからないけど。僕はたまたまトイレだった。四方を狭い壁に囲まれた、芳香剤の香りに包まれた空間で、静かに目を閉じ、身体の力を抜いて、アタマに浮かんでくる、ありとあらゆる光景を待つ。滞在時間はその時々で違った。3分の時もあれば、数時間になる時もあった。そして気がつくと、最後は決まって、ブツブツ言いながらペーパーをカラカラさせていた……

 先日、さすがに今はそんなことはないなと思っていたら……いやいや、ブツブツカラカラさせている自分がいましたよ。トイレで。いやー、びっくりした。でも、あの、はっと我に返った直後の、なんとも言えない「しーん」とした感覚っていうのを久しぶりに味わったけど、正直、悪くないなと思った。好きだな、こういう感覚。 で、トイレを出たらお腹が鳴った。「おお、生きているってこういうことか!」と妙に納得して、近くの定食屋で豚汁を食べ、スーパーでミカンを買った。帰り道、自販機でコーヒーを買ったら、抽選タイプの自販機だったようで、もう一本当たりが出た。ラッキー。

 その日は特に予定がなかったので、普段は見ないテレビをつけた。適当にチャンネルをいじっていたら、とある刑事ドラマに、以前共演した同世代の俳優が出ていた。あの頃の僕はたしか、30代も半ばを過ぎていたはずだから、かれこれ10年か……などと思いながら見続けた。画面を通して 見る彼は、力強く、逞しく感じた。ドラマが終わって、僕はさわやか過ぎる余韻に浸った。 きっと彼は「何かしらの希望」を見出したに違いない。 さてと、僕も見出してやる。たとえそれが妄想だとしてもね。 だって、不満ばかり探す人生なんてまっぴらだから。

キャスト一覧に戻る