モジリ兄とヘミング

佛淵和哉KAZUYA HOTOKEFUCHI

放課後の裏心

一目惚れは人生で一度だけだ。今からおよそ10年前。僕はその頃中学2年生で、畑と田んぼしかない茨城の片田舎に住んでいた。唯一の遊び場であるカラオケとジャスコのフードコートを往復することにも飽きた僕等が行き着いた先は、太平洋に広がるきったねえ海だった。自宅から自転車で10分で着くその海は、親から貰ったお小遣いを使い果たしたクソガキ達の最後の遊園地。特に何をするでも無く、テトラポットの上からボーッと海を眺めたり、波打ち際に捨てられたエロ本を拾っては童貞談義に花を咲かした。そんな毎日が楽しかった。だが、あの人と出逢った事で僕の毎日は変わってしまう。
それは進級してすぐの頃、当時好きだった女の子と同じクラスになれた僕はどうにかその子とお近付きになりたくて、あの手この手を尽くしてすぐ付き合った。付き合う件の展開が早いかも知れないが、僕はその地域でも1、2を争う程の展開の早い男として知られていたので友達からはスケベと呼ばれていた。ある日の放課後、彼女が海に行きたいと言った。やれやれこの女子、学校帰りに2人乗りで自転車漕いで海デートなんて思春期の妄想ダダ漏れである。勿論すぐに承諾した。
海に着くと、僕は自転車の荷台から降りた。後ろに男を乗せたのにも関わらず息も切らさない彼女は良い母親になると確信し、僕は自分の非力さに笑ってしまった。僕がニケツを途中で諦め、交代して貰ってから彼女は僕の事を少し睨んでいた様に見えたが、気のせいだと思う。
振られたのはその数時間後だった。始まる展開が早い僕は終わる展開も早い。振られた後は家にも帰らずしばらく水平線の向こう側を眺めながら、マンギョンボン号の大砲で僕を木っ端微塵にしてくれと切に願う程思考回路がままならなかった。ふと気がつけば、浜辺の端っこの方にこの地域では見慣れない白人の女性が自分と同じく海の向こうを見ている。どこか悲しげに見える彼女に僕はいつの間にか見惚れていた。その横顔はまるで、まるで、まるで例えられる程の力量が僕には無かった。
次の日、学校でその白人女性のことがどうしても忘れられない事を友達に話すと、このスケベと罵られた後に、マンギョンボン号には大砲が付いていないと教わった。そんな事などどうでも良いとやさぐれていた一時間目の授業に突然、あの人は降臨した。心臓が止まった。何が起こってるんだ?と考える間もなく、英語の先生の一言で全てを理解した。あの人は日本に英語を教えに来た外国人教師だったのだ。
「あの、昨日海で見ました!」
僕はいつの間にか立ち上がって言葉を発していた。すると先生が少し驚きながらもその人に向かって微笑みながら通訳してくれた。その様子を見るに、まだ日本語が不慣れなのだと分かった。
「綺麗な海だったから見惚れてしまった。だとさ」
その言葉を聞いて僕は、心まで美しいなんて卑怯だと更に惚れてしまったのである。愛の力とは凄いもので、それ以来僕の放課後は英語漬けになり、遊びにも行かなくなった。塾にも通った。全てはあの人にしっかりと気持ちを伝える為に・・・。
半年後、あの人は英語の先生と結婚して学校を去った。現実は意外とそんなもんだと自分に言い聞かせながら歩いていたら、辿り着いたのは海だった。海岸に座ると、急に涙が溢れ出た。結局気持ちを伝えられなかった後悔が今になってくるなんて。言葉を伝えることがこんなにも難しいなんて。涙で腫らした目で海を見ると、きったねえ太平洋がいつもより綺麗に見えた。

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