モジリ兄とヘミング

平田純哉JUNYA HIRATA

声が聞こえる

壁一面、紫色の幕に覆われたお葬式に出たことがある。

僕が10歳のとき亡くなった曽祖母、ひいおばあちゃんのお葬式だ。祭壇もやたらとカラフルで、色とりどりの花に、キラキラした装飾に、今からイリュージョンの1つでも見せてくれそうな雰囲気だった。もちろん現れた僧侶は、イリュージョンでひいおばあちゃんを復活させる!なんてこともなく、少し変な"のりと"を唱えて帰った。

当時10歳、そんなにたくさんのお葬式に出たことがあるわけでもないが「これはきっと、プレーンではねえな」という意識を持ったことだけは覚えている。完全にファンキーなお葬式だったわけだが、こんなにファンキーだったのは、何もひいおばあちゃんが派手好きだったわけでも、紅白の小林幸子サンに憧れていたわけでもない。

生前彼女が、規模の小さい新しめの宗教、いわゆる新興宗教を信じていたからだった。

神道をベースにしたその宗教では、この世は「修行の場」で死ぬことによって修行から「解放」されるという思想があり、つまりお葬式は修行達成の「お祝いの場」だったのだ。
と、仰々しく書いたものの、参列するのは親族ばかりで同じ宗教を信じている人もわずかだったため、当然のように全員喪服で来たし、慣れない儀礼に大人も探りさぐり参加していたし、やっぱり亡くなったことは悲しいから泣いたりもしていた。

「不思議なもんだなぁ」と10歳ながらに感じた。辻褄は合わないけれど、みんなでひいおばあちゃんを大事にしようとしている様子も、彼女が大事にしてきた世界観も、どちらもかけがえのないものだと直感したからだ。

それから、11年間。
何故かは分からないが、気づけば、神様の声が聞こえると言う人たちに、けっこう会ってきた。

田舎に住むシャーマンや、有名な武将の末裔や、インドネシアの偉いお坊さん、その他十数名。沖縄のシャーマンに「俳優をやっている」と言ったら「公務員になれ!」と言われたこともあったし、インドネシア・バリ島で牛糞やら花やらを儀式で燃やして炭にしたモノをヤクルトで割られて「飲みな!」と勧められたこともあった(わりと美味しかったのだから不思議)

言ってることは真っ当でも、人間的に全然好きじゃないなという人もいれば、言ってることは意味不明だけど、嫌いになれないなと思える人もいた。

見えないから「ありがたい」わけでもなければ、見えてるから「あたりまえ」なわけでもない。
そう思うと、やっぱりひいおばあちゃんの信じた世界観も、戸惑いながら手を合わせた大人たちも両方、僕は大事にしたいなと思った。たくさんの場所に行ってみた答えだ。

自分の葬式はどんなのがいいだろう…と考えてみるフリはしたけど、ちょっとよくわからなかった。
そのかわり、とあるエッセイストが「自分の葬式は物販を充実させたい」と語っていたことを思い出して、なるほどなと思ったりした。
地味でも派手でも楽しくやってもらえたら幸せかもなぁ、と21歳なりには思ったのだけど。
どうかな? ひいおばあちゃん。

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