モジリ兄とヘミング

清瀬ひかりHIKARI KIYOSE

あのキスは秘密

これは私が8才だった時の、ある夜の秘密の話だ。
当時の私は怖がりの甘えん坊で、子供部屋で一人で寝るのが嫌だった。わざと居間で寝ては父か母に子供部屋まで運んでもらうという打算的な子供だった。

その夜も居間でテレビを見ながら作戦を決行していた。「部屋で寝なさい」と母に言われてもタヌキ寝入りだ。そのうち母もあきらめ、私は熟睡することに成功した。

数時間後、狙い通り母が「もう。」と言いながら私を運ぼうとしてくれたのだが、その時に私は珍しく目が覚めた。しかし、ここで起きては運んでもらえない。起きて歩いたりしたら完全に覚醒してしまう。私は寝たフリを続けることにした。

まさか起きているとも知らずに、まぁまぁ重いであろう8才児を運んでくれている母に悪いとは思いながらも、本心はイェーイだ。
次の瞬間、そんなちゃっかり者が面を食らった。

母が私の頬にキスをしたのだ。
愛情は感じていたが、表現はあまりしないタイプの母が、私にキスをしたのである。
どうしよう、私は起きている。私は嬉しさよりも猛烈に恥ずかしくなった。母を騙して寝たフリをしている自分が罪深いと思ったし、私が起きていたと知ったら母も恥ずかしいだろう。
私は全力で迫真のタヌキ寝入りに励むことにした。内心一杯一杯の私を布団に入れ、母は静かに去っていった。
私は大きなため息を吐き、結果的に眠れぬ夜を過ごしたのだった。

そして翌日、私は行き場のない気持ちを抑えられず、姉にキスの事は黙ったまま「実は昨日寝たフリしていた。」と告げた。すると、お姉の奴め「この子昨日起きてたらしい」と速攻母にチクった。
私は苦し紛れに「はぁ〜?」とすっとぼけた。母は呆れたような照れたような、なんとも言えない表情で「今日は部屋で寝なさいよ」とだけ言った。母もすっとぼけることにしたようだ。
それ以来、私はタヌキ寝入りを止め、熟睡ならオーケーというルールを課し、ちゃんとした大人になろうと、ちょっとだけ自らを戒めたのであった。

あのキスは私と母の秘密だ。

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